2025年3月20日(木祝)、一般社団法人日本語研究会主催の「第4回日本語教育シンポジウム」を開催いたしました。会場の御茶ノ水ソラシティカンファレンスセンター ソラシティホールWESTには約70名が来場され、オンライン配信視聴には約400名の方々にご参加いただきました。ご参加いただいた皆様、誠にありがとうございました。
ここでは当日の様子をご紹介いたします。
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急激な人口減少が進む我が国では、外国人との共生社会の実現に向けて、国を挙げて取り組んでいます。そうした中、日本語教育が背負う役割や社会に対する責任は、かつてないほど大きくなっています。2025年1月から国家資格「登録日本語教員」の認定が始まったことも、その現れです。
新時代が到来し、日本語教育を取り巻く環境が大きく変わる中、専門職としての日本語教師はどのように教育に携わり、キャリア形成をしていけばよいのか――。今回のシンポジウムでは、第一線で活躍されている現職の日本語教師4名の方に、現在のお仕事の実態、これまでのご経験、将来的なキャリアビジョンなどについてご発表いただきます。そして、参加者の皆さんを交えたトピックごとの分科会で、より踏み込んだお話をしていただき、日本語教師という仕事への理解を深めていきます。
第1部 事例発表
<人と社会の豊かなつながりを求めて>
日本語学校 非常勤講師 坂口靖彦氏
私はサラリーマンを定年退職後、セカンドステージとして日本語教師の道を選びました。2016年に日本語教師養成講座を修了し、8年前からヒューマンアカデミー日本語学校東京校に勤務しています。本日は私が取り組んでいる活動として「日本人家族と外国人留学生の交流活動」と「日本語学校での組合活動」の2つをご紹介します。
私は現役時代から海外ホームステイ交流が趣味で、国際交流団体(一般社団法人言語交流研究所 ヒッポファミリークラブ)に所属して、ホストファミリーとして留学生を自宅に受け入れたり、海外ホームステイ生活を体験したりしてきました。ホームステイした留学生が学校での学習言語に苦労している姿を見て、「私に学習言語を教えるスキルがあったら手助けできたのに」と感じたことが、日本語教師を志した理由の1つでもあります。
現在は講師活動の傍ら、ヒッポファミリークラブの会員家族と在校生との交流活動のコーディネーター役を務めています。昨年は国際交流パーティーのほか、10組の日本人家族に協力いただき、1泊2日のホームステイも実施しました。留学生の感想で印象に残っているのが、「日本人家族の会話に自分が入れたのが嬉しかった」という言葉です。日本語学校の留学生は仲間でルームシェアをしているケースが多く、日本で暮らしていても日本語を話すのは学校での授業の間だけという学生も珍しくありません。学校以外の場で、さまざまな日本人と日本語で話す機会を留学生に提供する意味でも、こうした交流活動は大いに意義があると感じています。
組合活動では、現場で起きている問題について会社と話し合うために2017年に「情報労連De-self労働組合」を立ち上げました。現在は約150名(常勤講師約50名・非常勤講師約100名)の組合員が参加しています。これまでの活動で、賃上げや非常勤講師の有給休暇、授業準備や採点等も業務として認め時間給を支払う、といった待遇改善が実現しました。今年の春闘でもいくつかの要求を掲げていますが、特に私が重視しているのが、70歳定年制度の撤廃です。定年後のセカンドキャリアとして日本語教師を選ぶ人にとっては、70歳定年は短過ぎてキャリアアップも困難です。定年を気にせず長く働けるような環境を実現していきたいと考えています。
言葉は、人と人をつなぐものです。私は日本語教師として、言葉を大切に、言葉の学習を通して「まだ出会ったことのない素晴らしい自分」に出会える経験を、学習者と共有していきたいと願っています。
<喜びと試練の循環>
日本語学校 専任講師 藤原ひとみ氏
私が日本語教師になりたいと思ったのは、小学3年生のとき。テレビ番組の「日本語教師の旅」というコーナーを見て「私も、日本を好きになった人のお手伝いがしたい」と思ったことがきっかけでした。大学卒業後、日本語教師養成講座を受講し、2017年に修了。ヒューマンアカデミー日本語学校で専任講師となり約2000名の留学生を指導し、副主任として教材勉強会の講師や、採用模擬授業のオブザーバーも務めました。その後、一般企業に勤務しながら副業でオンライン授業を行う時期を経て、現在は神奈川県の日本語学校で専任講師を務める傍ら、株式会社エルロンのトップパートナー講師として、やさしい日本語アドバイザーや留学生の就活対策、日本語教師向けの講座を企画・実施しています。
子どもの頃の夢を叶え、好きなことを仕事にしている私ですが、現実は喜びと試練のくり返しで今があります。
日本語教師として働き始めた当初、一番苦労したのが授業準備です。私の場合、授業準備に毎日深夜2時、3時までかかり、徹夜明けで授業に臨むこともありました。というのも、授業の細かなやりとりまで全て決めておかないと不安で、自分が決めた通りに授業が進まないとパニックに陥り、不測の事態に対応できなかったからです。けれども、経験を積むうちに、授業準備では大まかな内容だけ決めておき、あとは現場で柔軟に対処するやり方ができるようになっていきました。いい意味で緩急をつけ、時には力を抜きながら仕事をすることも、日本語教師を長く続けていくには大切なことだと思います。
私は日本語学校で専任講師を務めたあと、一般企業に転職し、副業で日本語講師をしていたこともあります。今になって振り返ると、別の業界に身を置くことで日本語教育や外国人との関わり方について俯瞰的に見ることができたので、この経験も自分の糧となっています。日本語教師としてのキャリアパスを考えると、働き続ける中で自分でも思っていなかった道が開けることがあるので、どんな経験も無駄にはなりません。
日本語教師は、さまざまな国の人との交流を通じて多様な文化や考え方にふれ、自己成長できる仕事だと実感しています。悩みを相談し、励まし合いながら一緒に走っていける仲間がいることも、この仕事の魅力です。これからの時代、教師間のネットワークを構築することが非常に重要だと思います。同じ学校に勤める同僚・先輩の先生方だけでなく、オンラインで世界中の日本語教師とつながることもできるので、皆さんもネットワークを広げ、自身のスキルアップや専門性の向上に活かしていただきたいと思います。
<多様な経験を生かした専門家としての日本語教師をめざして>
語学学校 日本語教師 山口直子氏
私は現在、会社員としてフルタイムで働きながら、語学学校で日本語講師を務めています。まず、現在の働き方を選んだ理由についてお話します。
もともと私は外国語を学ぶことが好きで、教えることにも興味がありました。外国語教師になることを考えたこともありましたが、ネイティブのレベルに達することができないという自信のなさもあり、職業として選ぶことはせず、会社員になりました。
日本語教師という仕事があると知ったのは、15年ほど前のこと。「これだ!」と思ったものの、当時は専任の日本語教師の就職先は多くないと聞き、断念しました。代わりに今後のキャリアを考えて行政書士の資格を取得し、会社を辞めて留学したり、行政書士として働いたりしていました。
そうして2017年、働きながら日本語教師養成講座で学び始めました。私自身、さまざまな経験を経て「日本語教師にもいろいろなスタイルがあっていい」という柔軟な思考が芽生えたことに加え、日本語教育を取り巻く環境も変化したので、まずは日本語教師として第一歩を踏み出そうと考えたのです。
2019年に日本語教師養成講座を修了後、興味を抱いたのが「日本語パートナーズ」です。これは独立行政法人国際交流基金が行う事業で、アジアの中等教育機関に日本人を派遣し、現地の日本語教師のアシスタントとして授業をサポートし、日本文化の紹介を行うというものです。海外の公教育の現場に入れることに魅力を感じて応募し、2020年にインドネシア派遣の内定をいただきました。
ところがコロナ禍で中止となり、再開後に再び応募して2022年9月から半年間、スマトラ島メダン市の高校で活動しました。
2024年4月から、会社員と兼務でCoto Japanese Academyで日本語講師を務めています。私が担当する授業は、平日の夜2回と土曜日の午前中。まだ新米なので授業準備に時間がかかって大変ですが、続けている最大の理由は、楽しいから。学習者とコミュニケーションを取りながら授業を行うのは毎回新しい発見があり、刺激的です。ひらがなも読めなかった学習者が1年後には漢字カナ混じり文もスラスラ読めるようになるなど、ゼロビギナーの成長を目の当たりにするのも嬉しく、やりがいを感じています。
今後の展望としては、さまざまなニーズに対応できる日本語教師になりたいと考えています。日本に暮らす外国人の背景や生活理由が多様化し、それに伴って日本語教育に対するニーズも多様化しています。多様なニーズに対応しつつ、その中で自分の強みを活かせる分野を強化していきたいです。私の場合、海外滞在経験から得た異文化対応力や、行政書士と日本語教師のダブルライセンスが自分の強みになり得ると考えています。そうした強みを活かし、言語面に留まらず、生活面でのサポートもできるような日本語教師になりたいです。
私自身もまだ道半ばですが、日本語教師は、自分では当たり前と思っていることも含め、1人ひとりの経験が強みになる仕事だと感じています。1人ひとり経験が違うからこそ、その経験が専門性や強みになると思います。
<専任教員沼の先にある光>
日本語学校 校長 神恵介氏
私は2009年に日本語教師養成講座を修了後、技能実習生と留学生の日本語教育を非常勤講師の立場で約3年間行いました。その後、2012年から2020年まで、専門学校の日本語科で専任教員を務めました。この期間は、まさに「沼」と呼べるほど仕事にどっぷりはまった時期でした。本日は、専任教員沼の底の底まで沈んだ経験と、沼を抜けた先に私が見た光景についてお話ししたいと思います。
日本語学校には、大きく分けて①学生募集・広報、②日本語教育・学生支援、③進路指導(進学・就職支援)の3つのセクションがあります。学校の規模によって日本語教師が関わる範囲はさまざまですが、多くの場合、②の日本語教育がメインでしょう。
私が就職した学校は、専門学校の一学科として日本語科が設けられており、学科定員も160名程度と小規模でした。そのため専任教員は日本語教育だけでなく、学生募集から日々の生活サポート、進路指導まで、あらゆる業務をしなければいけませんでした。
そこで私の頭に浮かんだのが、特定の分野でエキスパートになるには1万時間の練習が必要だという「1万時間の法則」です。日本語学校の3セクションの業務に精通するには、3万時間の経験が必要となります。週休2日・1日8時間労働だと5年弱で1万時間に到達しますが、自分は普通の人の3倍の密度で働いて、5年間で3万時間を目指そうと考えました。そうすれば、5年後には“日本語教師”ではなく、“日本語学校”のプロになれると思ったのです。
覚悟の上で専任教員沼に飛び込んだ私は、2012年から2020年までの約8年間、常に学生の誰かと一緒にいるような生活を送りました。最も過密スケジュールだった時期は、午前午後の授業を終えた後、事務作業や学生の生活サポート業務、授業準備をしながら、学生のアルバイトが終わる夜10時を待ち、その後は深夜3時頃までファミレスで学生の大学院進学指導を行っていました。睡眠時間は平均3~4時間程度。学生が暮らす寮の管理や、学生募集のための海外出張、留学希望者の選考、入国管理局への申請業務、など日本語学校にあるすべての業務にもフルで関わりました。
働き方としてはブラックに見えますが、一つも強制されていた業務ではありません。専任教員沼にどっぷりはまっている間はすごく充実していました。2015年に教務主任、2017年に学科長になり、2018年からは文化庁(現・文部科学省)委託主任教員研修の実施委員を拝命するなど、学外にも活動の場が広がっていきました。
そして、2020年には現職へ転職。日本語学校の校長に就くことができたのは、日本語学校で起こるあらゆることに対して1人で対処できるだけの力を培っていたからだと思います。そして、今は自校で働く教職員の待遇を向上させることもできているので、その意味でも、専任教員沼で一生懸命頑張った時期は無駄ではなかったと感じています。
学外活動においても、日本語教育の第一人者である伊東祐郎先生をはじめ、尊敬する先生方と一緒に仕事をする機会をいただいたり、日本語教育業界全体の質の向上に携わることができるチャンスをいただくことが増え、とてもありがたく思っています。こうしたことも、専任教員沼の先にあった光といえるでしょう。
専門職としての日本語教師であり続けるためには、どうすればよいか。皆さんに送りたいメッセージは、「とにかく外へ!」です。学内に留まらず、外に師匠と呼べる人や仲間を見つけ、広くいろんな人とのネットワークやコミュニティを形成することに取り組んでいただくと、きっと自分自身の成長にもつながるし、日本語教育業界での心の拠り所もできるでしょう。
今日お集まりの皆さんは、同じ日本語教育に携わる仲間です。このご縁を大切にしながら、より強い結束を皆さんと作り上げていけるといいなと思っています。
第2部 グループディスカッション
第2部では、会場を4つのグループに分けて、グループディスカッションを行いました。登壇者が各グループを巡回し、10~15分程度ずつ質疑応答を行う形で進められましたが、参加者から次々と質問が寄せられ、現場のリアルな声を交えた活発な意見交換が行われました。
第3部 全体会(分科会の報告・まとめ)

進行・モデレーター 志賀玲子氏(明海大学 外国語学部 専任講師)
第3部では、第2部のグループディスカッション(分科会)で挙がった議題や質問などについて、登壇者から報告が行われました。
続いて全体のまとめとして、全員の登壇者に「新時代の日本語教員に必要なスキルとは?」という質問に答えていただきました。
「ビジネス会話の授業のときに特に私が実感しているのが、教師の『人間力』が大事だということです。教材には足りない話題や、自分の実体験を踏まえた事例を紹介することで、学習者の理解や興味が深まります。自分の経験を、失敗談も含めてオープンに話せるような人間的な魅力のある先生が、今後ますます求められるように思います」(坂口靖彦氏)
「いろいろなことに対して『疑問に思う力』は持っていた方がいいと思います。日本語教育においても、自分が受けた言語教育をそのまま日本語の学習者に当てはめようとしても定着しません。一歩引いた目で物事を見て『これでいいのか?』『もっといい方法はないのか?』と考える習慣をつけるのも大事でしょう」(藤原ひとみ氏)
「日本語教師は、自分自身の中にあるものを存分に出せる職業です。自分のスキルの棚卸しを行うことで、日本語教師としてのスキルの発見につながると思います。自分がこれまでやってきたことや、自分の特技や経験として言えることは何かを振り返ってみることで、きっと新たな発見や気づきがあると思います」(山口直子氏)
「日本語教師に必要な力として、私がいろいろな場でお話ししているのが『質問力』『傾聴力』『ホスピタリティー』の3つ。この3つの力に加え、自己分析や自己客観視がきちんとできている人が、日本語教師として大きく成長していると感じます。これからの時代は『日本語教師×●●』というプラスアルファの要素が求められるようになっていくでしょう。『×●●』は、過去の経験から掘り起こすこともできますし、自分で新たに設定することもできます。社会が日本語教育に対して求めていることや、ご自身が所属する教育機関がどのような人材を求めているか、などを注意深く観察ながら、自分は何を日本語教師に掛け算するのかを決めていくといいと思います」(神恵介氏)
最後に・・・
<閉会のあいさつ>
日本語研究会理事(ヒューマンアカデミー日本語学校校長)田中知信氏
一般社団法人日本語研究会は、日本語教師の資質向上と研究支援、日本語教育の品質向上、日本語教師の交流促進を目的に、2019年4月に創立されました。
日本語を学ぶだけであればAIでも可能かもしれませんが、日本語教師が存在する意味は、人間だからできること、日本の社会の構成員として学習者に渡せるものがあるからだと思います。皆さんがそれぞれ、日本語教師にプラスアルファの要素を加えていくことで、活躍のフィールドはより広がっていくはずです。
また、最近は日本国籍ではない日本語教師も増えています。ネイティブ・ノンネイティブそれぞれに素晴らしい点があるので、共に日本語教育を背負う仲間として協力していくことが大切でしょう。
この業界は広いようで狭く、狭いようで狭いです。登壇者の先生方もお話しされていたとおり、これからは日本語教師同士の交流やネットワークづくりがますます大切になっていきます。
日本語研究会は今後もオンライン講演会やシンポジウムなど、さまざまな企画で情報発信をしていきますので、皆さんもぜひ仲間になっていただければ幸いです。