2026年7月29日に、会員限定のオンラインセミナーを開催しました。
今回は「海外」で長く活躍されていた日本語教師のお二人をお招きして、リアルなお話を聴くことができました。
約100名の皆様にご参加いただきました。ありがとうございました。
アンケートでは、「海外の方との仕事の仕方について考えさせられました。」「異文化を時には受け入れ・時には受け流す術をもつことの必要性について参考になった」「海外への就職を希望しているが、お二人の話を聴いて海外勤務がとても楽しみになりました」など、多くの感想をいただきました。
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■山下 明美(やました あけみ)先生
日本語教育能力検定試験合格後、2015年4月より告示校での勤務を経て海外へ。2015年7月より、インドの私塾・ミャンマーのITと語学学校・マレーシアの語学学校・メキシコの州立大学語学センターにて様々な機関の多様な学習者に向けての日本語教育以外に、他機関との交流や交渉など責任のある業務にも携わった。継続してオンラインで全世界の学習者ともつながっている。

『常識を客観視する~当たり前が通じない世界で生きる』
山下先生は、世界地図を使って、ご自身が訪れた国・日本語を教えていた国を示しながら当時の様子を発表してくださいました。インド、ミャンマー、マレーシア、メキシコといった多様な国々での教育経験を通じ、「異文化サバイバル」としての日本語教育について語られました
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日本語教師になる前はバックパッカーでラテンアメリカに行っていました。
まず最初に行ったのがグアテマラです。グアテマラは世界で一番安くスペイン語が勉強できる場所と聞いてそこに行き、スペイン語学校に1カ月だけ通いました。
英語でそこそこコミュニケーションが取れていると自分では思っていたのですが、ある中国系イギリス人の男性から「君、英語がすごく下手だけど、大学に行ったの?」と真顔で聞かれました。
それがショックで、あくまでも日本人として話せているだけであって、彼の常識ではあまりにも下手だったのだと分かりました。
外国に行って自分がマイノリティになる場合は、文化相対主義の考え方で、「ちょっと待って、この違うやり方には彼らなりの合理的な理由がある」と思って受け流すこと・受け止めるという考え方が必要になってきます。
これは異文化サバイバルのためのメタ認知です。まさに洗礼を受けたような経験でした。
その後も、その国ならではの日本では聞いたこともない・経験したこともないような壁にぶち当たりました。
外国に長く住むためには日本語教師という職業がいいのではと考え養成講座に通いました。
日本語教育能力検定試験に合格後、都内の2つの日本語学校で非常勤講師を経験しました。
そしてこのあと海外へ飛び出しました。
たまたま日本企業が募集を出していた塾の会社でインド・ニューデリーのグルガオン(現・グルグラム)に日本語学校を作るのでと言われ行きました。
案内された住居には新聞で覆われた大きな穴が壁にあったり、銀行口座の開設までに2か月かかって、
それまでは自腹でなんとかしてと言われたり・・・他の先生は新しく計画された塾に派遣されてしまい、ほとんど一人で電話番から授業までこなしていたので孤立していました。
ここでの印象的な話は、数日間休んでいた20歳前後の男子学生が、久しぶりに来て伝統的なお菓子を配り始めたので、旅行にいってきたのかと聞くと「結婚しました」と言いました。
奥さんはどんな人なのか聞くと、「会ったことはありません」。そんな文化なんだととても驚きました。
次に、ミャンマーです。当時ロヒンギャ問題で情勢が良くない時期ではありましたが、日本企業が募集していた語学学校へ赴任しました。ここでは日本人教師はビルマ語ができないため初級しか教えさせてもらえず、ミャンマー人のレジェンドクラスの教師たちがヒエラルキーのトップを占めていました。
ここで印象的だったのは、「先生の日」のことです。
「先生の日」があることを知らなかったので、突然オフィスで校長・教頭に向かって「土下座してください」「あなた日本人も仏教徒なんだから同じでしょう、やってください」と言われ驚いて断ったことがあります。午後からは教師の前で学生たちがみんな土下座する儀式があるといわれました。この学校はローカルに合わせる学校だったので、本当にできないものはできないときちんと言わなければならないと感じました。
次のマレーシアはとにかく住みやすかったです。モントキアラとというエリアは日本語がよく聞こえてくる場所です。勤務していた学校の学生さんも多言語を話し、日本語学習にも熱心でした。
2年契約で更新したところ、コロナのパンデミックが起こりました。
2020年2月政治不安で首相が辞任。その3日後にイスラムの大集会があり、1万6千人が集まり、3日間も飲食を共にしていたので感染が爆発しました。そしてロックダウンです。
政府の緊急発表がほぼ現地の言葉だけになってしまい、『Twitter(現:X)』の日本語訳者が翻訳してくれたのが本当にありがたかったです。オンライン授業が始まると学生からの情報も次々集まり、上級で教えていてよかったと思いました。
契約が終了した2022年に帰国しました。
最後に大好きなラテンアメリカに行きたいと思い、メキシコの州立大学の中にある小さな言語センターに赴任しました。英語、スペイン語、フランス語、イタリア語、ドイツ語中国語などさまざまな言語を学ぶことができる学校です。
「何でも聞いてください。手伝います」と言われていたのですが、案内もなく初日は自分で大学にきてくださいと言われ、ビザの手続きで移民局に行くのも「治安が悪いけど気をつけて」と一人で行きました。
とにかく自分ですべてやるのが基本のところでした。
引継ぎもなにも残されていないまま着任9か月で日本語科の責任者になりました。
コロナで中断していたスピーチコンテストを復活させるよう指示がでました。
全くわからない中、企業からの協賛金もいただき、学生をはじめ現地の団体や学校などみんなが手伝ってくれて200名ぐらい集まり、大盛況で終わりました。
ただ、その後の残務処理で現地の経理担当が清算関係を一切行っておらず、いくら言っても進まず、最終報告書の仕上げも忙しいからとの理由で手つかず。後始末をして退職・帰国しました。
私は、日本の常識が何の意味も持たないところで気が済むまで冒険したかったので、その点に関してはとても満足していますし何の後悔もしていません。
現在はオンラインで世界中の学習者に一日最大で8時間ほど教えています。
オンラインの難しいところは、レベルチェックです。最初のレベルチェックはかなり経験が必要かもしれません。
ただ、すごくいいのはデジタルノマドの生き方ができることです。どこにいても旅行中でも仕事ができます。
もうひとつ、学生からの発語は世界中からの生の声なので、それが聞けるのも日本語教師の良いところかなと思います。

最後に・・・
日本語教師として気をつけていること・大事にしていることは
①できることに+1を徹底する
何が+1なのか、何が今できることでこれからできることなのかを考えています。学習者の立場や現状をしっかり見て、できる一歩を提示してあげることです。
②非言語シグナルを見逃さない
視線や表情の変化、動き・声の大きさなどを細かく見て、自信がないだけなのか、なにを理解していないのかを正確に読み取り、的確に指導することが大切。
③学習者は私が知らない世界の情報源
日本について教える必要はないと思っています。学習者が、友達や知り合い、オンラインで日本人に聞けるようになったらそれで十分。
基本的には情報を与えるよりも聞き出すことを中心に考えています。彼らの知識や経験、文化的背景に敬意と興味を示し、「私はあなたの話が聞きたい」という姿勢で接します。そして、「早く上手になって、私にあなたの話を聞かせてください」と伝えます。
彼らの方が主人公であり、彼らの冒険が始まっているのだと思って授業をしています。私はサポート役で、少し指導すれば彼らが楽しいと思って日本語の学習を続けてくれればいいなと思っています。
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■奈留 知伸(なる とものぶ)先生
音楽制作に関する業務に従事したあと、2010年より日本語教師へキャリア転向。
東京都内の日本語学校にて教員として従事した後、2013年に台湾へ渡り、台湾の3つの学校で日本語教師として勤務。直近の学校では授業での指導の他、教材開発、新任教師の採用活動から指導・訓練、文化イベント等の企画・運営など、校内(社内)の様々な業務に携わっていた。
「日本語教師として海外へ踏み出す――台湾での13年間の経験から」
奈留先生は、音楽関係の仕事から日本語教師へと転身し、台湾で13年間にわたり勤務された経験をもとに、台湾での複数の学校での様々な業務経験やこれから海外を目指す方へのアドバイスを共有されました。
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海外勤務と聞くと、例えば語学力が必要なんじゃないか、英語とか中国語ができないとダメなんじゃないか、生活に適応できるかどうか、あとはお給料などがちゃんともらえるのか、あとは1~2年のような短期的な一時的な経験しかならないんじゃないかという不安を抱く方が多いかなと思っております。私自身、台湾に渡る時には実は中国語がほぼ、というか完全に0でした。現地での生活や現地の仕事についても全然わからない状態でしたが、それでも一歩踏み出したことで、最初は想像していなかったような13年という長い期間の台湾生活、海外生活を経験することができました。
3つのことを皆さんにお伝えしたいと思います。一つは、思ってもみなかった人生の大転換・海外へ出ることで人生やキャリアが大きく変わったこと、二つ目は海外にいても私のように長期的なキャリアを築くことができるということ、三つめは海外勤務の第一歩は台湾はとても適しているということです。
2010年から、国内の日本語学校と専門学校日本語学科に3年間勤務しました。その後2013年に台湾南部の高雄の日本語教育機関に赴任し、2年間勤務しました。
2015年に台北に渡り、最初は非常勤講師になり、中国語を学びながら日本語を教えていました。その後、台北の日本語学校で約10年間勤務し帰国しました。現在は都内の日本語学校で専任教師として勤務しています。
音楽業界にいた私が日本語教師になったのは、ただ生活のために仕事をするのではなく、自分の人生の中で長い時間をかけて取り組める、自分の軸になるような仕事を見つけたいと思ったからです。かつて自分が英語を学んだイギリス人の先生を思い出し、母語を外国人に教える仕事に興味が湧き、フランスの友人を訪ねたときに現地で日本語を学ぶ学生たちが一生懸命話す姿に心を動かされ、日本語教師になる決意をしました。
ではなぜ台湾を選んだのかですが、一番大きな理由は台湾人留学生との出会いです。最初に国内で勤務した際担当したクラスの半数近くが台湾からの留学生でした。その学生たちと接しているうちに台湾そのものに興味を持つようになりました。彼らは来日前にどのように日本語を学んでいたのだろうか、日本語や日本文化はどのように受け入れられているのだろうか。そう思うようになりました。自ら彼らの国に行ってその教育環境を見たいと思いました。
次に私が働いていたのは、「補習班」と呼ばれる民間教育機関です。例えば進学塾や予備校・語学スクールなども含まれます。台湾滞在中、小規模・大規模と3つの学校で勤務しました最後に10年間勤務した学校が一番規模が大きく、グループ全体で1000人を超える学習者がいて非常に活気がありました。
海外の日本語教育機関では、日本語を教える授業が中心になりますが、この学校では研修も行っており、教材開発や採用業務、コース設計や広報など様々な業務に関わる機会を経験させてもらいました。
台湾の「補習班」に集まる学生は本当に多種多様で、小学生から80代の高齢者まで、
留学を目指す若者やワーキングホリデーで日本で生活してみたい、日系企業の会社員、旅行に行くための日本語を習いたいなど幅広い層が集まっていました。
特徴的だったのは、年齢別に分けたりせず、小学生から高齢者まで一つのクラスに集まることがありました。その場合は学生の年齢や世代、
このような環境で教えてきましたが、その中で、私が必要で大切だと思ったことがあります。それは柔軟であることです。
もちろん正しく教えることは大切ですが、それだけでなく、目の前の学習者が何を求めているか、その学習者に合った教え方ができているかということが非常に重要だと思っています。また。どこまで要望に応えてサポートすることができるのかという点についても慎重に考える必要がありました。
さて、「コロナ禍」でいろいろな経験をしました。日本語教師として非常にステップアップすることができ成長につながりました。
感染が拡大し、政府の指示で教室での対面授業が一切できなくなりました。
学校側からは約一週間ほどでオンライン授業の体制を整えるよう指示がありました。
そこで自分自身が実際にどのように授業ができるかを実験してみて、マニュアルを作成し、他の教師たちにオンライン授業研修を実施、教材のデータ化も行いました。そこからさらに、オンラインコースの開設やオンラインで使えるオンデマンド教材の開発などに発展していきました。この時期にそういったスキルを学べたことは非常に大きな経験としてその後の自信につながりました。
13年間のキャリアを築けたのは、このように幅広い業務を任せていただき、試行錯誤して自分にできることを考えながら大きなチャレンジができたことが要因だったと思います。
台湾は非常に日本語学習の需要が高い国ですし、日本に対して非常に熱い思いを持ってくれている方が多い印象です。日本からも3時間半ぐらいで着けるので心理的負担も小さいと思います。非常に働きやすく挑戦しやすい魅力的な国ではないでしょうか。
私自身は、台湾の文化に長期間触れることで、だんだん異なる考え方を受け入れるだけでなく、それが自分の一部になっていきました。もう一人の自分に出会えたような気持ちでいます。台湾がもうひとつの母国になったと言える所以です。
最後に、日本語教師として大切にしていることは・・・

①わからないことは教えない
学生からの質問にその場で答えられなかった時、「一度調べてまた明日答えます」と伝え、翌日改めて説明したことがありました。後日アンケートでその学生が「先生が適当に答えるのではなく、正しいことを教えようという誠実さが伝わった。それが嬉しかった」と書いてくれました。これが教師としての原点になっています。
②頑張った人を素直に褒める
教師としては、教室では公平であることを求められ大切なことではありますが、特別に努力している学生がいたら、「頑張っているね」「頑張ったね」と心から伝えるような素直な気持ちも大切にしています。
③学びを自分ごとにしてもらう
教師の話を聞き、指示されたことをこなすだけでは、本当の学びになりません。
教室の中で交わされる一つ一つの会話の話題に対して、「私ならどうするだろう」「私ならこう考える」と自分自身に引き寄せて考えられる授業ができたら、学生の心に残る授業になると思います。
海外で働きたいという思いや興味があっても、自分にはまだ早いかなとか語学力が・・・とかもう少し日本で経験を積んでからなどと考えるかたもいらっしゃるとおもいます。準備はもちろん大切ですが、すべての不安がなくなるのは難しいと思います。
少し怖くても一歩踏み出すことで、新しい仕事や新しい価値観、新しい自分に出会っていただけたらと思います。
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質疑応答では、海外へ飛び出すのに年齢制限があるのか、健康保険の問題、日本の教育機関で経験を積んでから海外に行った方がいいのかなどたくさんの質問が出ました。
ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。
次回のセミナーもお楽しみに!
引き続き日本語研究会をよろしくお願いいたします。
